1.欠落している日本の文化輸出

「僕は中国人とみられると、ホッとします。日本人ですねと言われると、ゾーッとします」
 パステルデルチョクロを食べる手をとめて、青年は僕の目を見つめて言った。ブラジル・サンパウロで歌ったあと、僕はチリの首都サンチアゴにいる。彼はこの国に住みついて十一年、チリ人女性と結婚、スペイン語(国語)もペラペラである。
 シアン化合物を輸出用ブドウに入れたと、米、日両大使館に怪電話が入り、両経済大国がチリ産ブドウ輸入を差し止め、米大使館前ではブドウが通行人に配られ、その無害さをアピールするデモがあったりした。
 こんな耳新しいニュースでもないと、日本では地球の裏側のことなど話題にならない。
 実は、チリの海でとれた海産物が日本の食卓にのぼり、日本が漁港や水産調査船の無償援助をしていることを、僕も青年の説明で初めて知った。
 米国資本はその昔からチリ最大の資源、硝石や銅を牛耳り、チリの人々の反感をかって来た。だが、その反面、日本の水産無償援助とは比較にならない、文化的な多方面での援助を、この国に提供してきた。
 ロック音楽など、アメリカのエンターテイメント文化も、無条件に若者たちに歓迎されている。
 アメリカよりはるかに遠い日本は、付き合いの歴史も全然薄い。だが、その経済力で第二の米国になろうとしている。しかし、日本を紹介する文化をなにも持ってこず、ただエコノミックアニマルの印象だけが、市民についてゆく。だから日本の大商社で経済先兵として働き、この国の土になろうとしている青年は、日本人に見られたくないと心から述懐した。
 ほとんどの日本人がチリのことなど、全く知らない。初めて食べる、とうもろこしに鳥肉をたき込んだパステルデルチョクロを食べるスプーンを置いて、初めて知った、南欧と同じ街並みを行く白人市民を眺めつつ、黄色人種の一人である僕も、経済進出に対し、皆無の日本文化輸出のなさけなさをかみしめた。