101."とりあえず"飲むビール

「お飲み物は何になさいますか?」
「トリアエズ・ビールを」
「おビールですね。で、お銘柄は?」
「だーから、トリアエズ・ビールを、おーねがいしーます」
 その外人は、一緒に飲みに行った日本人たちの口癖を聞いて、「トリアエズ」というビール銘柄があると思い込んだ。
 僕はドイツのケルンに永年住んだ。ドイツには町々に違うビール銘柄がいくつもあって、大樽に入れてビアホールで飲ませる。樽のことをドイツ語で「ファス」と言うが、樽から出したての「ビアー・フォン・ファス」、つまり本当の生ビールはひどくうまい。
 ケルンの行きつけのビアホールでは、太ったおじさんが汗をふきふき、こぶし大の、一口で飲み干す小さなコップに、泡がほどよく四−五分の一ほど上部にのった生ビールを大急ぎで配る。連れの日本人が一度に五杯注文したら「そんなまずいビールはここでは売らない」と断られた。
 そして一杯ずつ配るごとに、僕らの紙のテーブルクロス上に線を並べて引き、五本目はそれまでの四本を横切って、焼き鳥のくしみたいな、日本の「正」の字に替わる印をつけた。クロスはたちまち「くし印」で埋まってしまった。
 出来て三時間のビールを、ある日本のビール工場で飲ませてもらったことがある。工場内だけで許される酒税を払わない試飲である。ラベルの張ってない小びん一本だけ。そのうまさたるや、それまでのビールは皆サギだ、と怒鳴りたくなるほどであった。その夜、前日に出来た同じビールを飲んだが、雲泥の差。数カ月たったものはもはや泡も出ず、同じビールとは思えなくなっていた。
 ゴロゴロ盆の上で転がされて運ばれてきて、抜くと泡が吹きこばれたり、ちゃんと製造期日が書かれてあるものを、見もせずに飲むのがほとんどの日本人。コマーシャルも銘柄売り込みにやっきだが、一番大切なのは飲み方である。
 ビールの特にうまい季節だ。トリアエズの地位に甘んじさせるな!