14.外人には"ちょっと難しい"日本語

「出来ますか?と尋ねて、ちょっと難しいですね、という日本人の返事は、ほとんど駄目だという事なのですね。学校では全然教えてくれませんでした」
 日本語を流暢に話すその外人は、外国の大学で日本語を勉強した。「ちょっと」という意味は「少し」だと教わって日本へ来たのである。少し難しいのなら可能性あり、という返事だと受け取って当然である。
 だが待てど暮らせど相手は実行しない。
 よく聞いてみると「お断りしたはずです」と言われ、彼はやっとわかったのである。これは学校の教え方が悪いのではない。われわれの習慣を知らないと理解できない言い回しだからだ。
 特に外人や初対面の相手には、決定的に否定する返答を、日本人はなるべく使うまいとする。「難しい」という大部分の否定を「ちょっと」をつけることで柔らかくした。
 本心は「多分駄目です」と答えているのである。「ちょっと難しい」。日本語で言わずに、これを外国語に直訳して答えたとしても、外国人はかなりの期待を持ってしまう。
 言葉、習慣などが異なる人々が一緒に住んでいるアメリカやヨーロッパでは、相手にわからせるにはあいまいな言い回しは駄目である。われわれ日本人の間では、含みのある言い方、一を聞いて百を知る、などが価値ある事とされている。
 それは、行間に万言に値する深い意味が込められている、世界に冠たる日本の芸術「俳句」に如実に現されている。外人にとって真にわかりにくいあいまいな日本語式表現は、お互いにわかり合っていることを基本に、俳句を愛し、「和」を尊び、相手の表情を尊重して話し合う、われわれの伝統的な習慣である。
 しかし、芸術と、意志の明確な伝達が一番大切なビジネスや日常の会話とでは全く違う。
 これからますます国際化が進み、外人と話す機会が多くなる。われわれもきっぱりした、意志の通じる日本語を彼らに対して使うべきである。