16.宣伝はまず疑ってかかれ

 武道館で「イントレランス」(不寛容)という映画を、オーケストラが生演奏で伴奏音楽をつけるというイベントとして見てきた。
 グリフィスという、チャプリンと並ぶ、映画の父のような巨匠が、映画の揺籃期、今を去る七十年前以上に作った、延々八時間におよぶ大作。
 四散していたフィルムを可能な限り集め復元し公開した画期的な試み。マスコミでの大々的な宣伝、なによりも一流企業主催だから間違いないと、数ヶ月前にやっと八千円の券を手に入れ行ったのである。
 なるほどバビロン、中世フランス、ユダヤ、現代と異なる四時代の物語が同時進行するという、今でも画期的な手法。
 なによりもバビロンの栄華とその陥落を描いた大広間での大宴会、大群衆、大攻防戦、そしてその大俯瞰撮影を、トーキー映画時代にやったグリフィスという人はすごい。
 素人の僕でさえ、大いに勉強をさせて頂いた。
 しかし、それらの手法の印象が強すぎて、僕には人間が他人を許さないさが(性)−イントレランス/不寛容−によって戦争などの悲劇が起こるのだ、というこの栄華のテーマが迫ってこなかった。
 ドラマの起伏に並行しないあの音楽を、フルオーケストラの生演奏でやる意味はどこに?
 広大な武道館の一隅に映し出されるポツンとした映画を、長時間首を曲げて見、片耳から聴き、八千円を出させて見せる価値は?
 僕は音楽を録音し、映画を大きく正面に見据えて鑑賞できる、普通の映画館で、安い料金で見せるのがスジだと思う。
 しかし、それでは一般の映画興行で、客は来ないとふんだから、イベントとして、大宣伝をして武道館三階を満杯にしたと勘ぐってしまう。
 勉強にはなった。しかし宣伝はいかなるものでもまず疑え、という勉強の方が大きかったかもしれない。