19.選挙の白紙票も一票の重み

 投票日であった。与野党逆転の参院選後、日本の船頭をだれにするか、それをわれわれが決める大切な大切な日であった。
 選挙区により三倍以上も違う一票の重み。
 暴走族の一票も政治学者の一票も同じ一票。
 そして握手しただけで入れる一票。
 しょっちゅう宣伝カーのマイクで聞く名だから入れる一票。
 電話の泣き落としで入れる一票。
 見てくれがいいからと入れる一票。
 就職の世話をしてもらって入れる一票。
 結婚式にご祝儀をもらったから入れる一票――もろもろのくだらない一票も、確実に、他のまじめな一票と同じく船頭選びの一票となる。
 この民にしてこの政治家あり。
 フィリピンの選挙のとき、同じ国の識者がなげいた言葉を思い出した。
 だれに入れたら良いか。公約や政見だけでは、それを果たして実行するか否かがわからないし、選挙権のリップサービスほど当てにならぬものはない、仕方がないから投票所に行ってくじで決める、と言う人がいる。
 僕はそれでも棄権よりはましだと思う。全く偶然に任せるという意思を、その人は示したことになるからである。投票すべき人物はいないし、かといってどの党にも入れたくない。あるいはだれに入れてよいのか皆目わからない。だから白票を投ずる、つまり無効投票をするのもまた、だれにも入れないという意思表示をすることである。選挙は国民の意思を問うためのものである。無効投票も、全く意思表示をしない、棄権という行為よりはるかにまし。立派な一票である。
 考えぬいた挙句のまじめな一票。無責任なくだらない一票。おびただしい一票が集まって日本の行方は決まる。僕はその一票の主でありたい。船頭を選ぶ一人でありたい。棄権はやめよう。そしてこの民にしてこの政治あり、と胸を張って言える投票をしよう。