23.まだまだ市民権のない円の実力

 共産圏が崩れ去る一年ほど前のことである。久しぶりにウィーンに行った。古都は昔、僕が学んだ頃のまま。だが、あの一昔前、のぼりを先頭にゾロゾロと奇声を発しながら群れをなした日本人観光客の姿は、経済力をつけてきた他のアジアの国の観光客がとって代わり、日本人は、おおむね小グループまたは個人のビジネスマンらしき姿が多い。
 一軒の土産店に入った。両替するのを忘れ、持ち合わせは円だけ。売りたい一心の売り子は、西独マルクでなら売るという。立ち去ろうとしたら追いかけてきて、スイス・フランでも、フランス・フランでも、英ポンドでも、イタリア・リラでもよいと言う。これしかないと円札を見せると、天を仰ぎ、銀行で替えてきて下さい、とあきらめた。
 銀行に行き、欧米諸国通貨のその日の交換レート表の一番下に表示された円レートを見て、オーストリア・シリングに両替。
 そんなに遠くない昔、日本円のレートは、一番下はおろか、ヨーロッパの銀行では全く表示されていなかった。マナーの良くなった観光客、一流ホテルや飛行機のふぁーストクラスを占拠する日本人ビジネスマンたち。金持ちになった日本を、銀行での円レートは明示している。
 ウィーンから車で小一時間走り、ハンガリーに入った。国境で車窓に近づいて来た両替人に、またも円は断られ、次に行った両替所の窓口でも、国境から十キロほど走った国立の銀行に行けと言われた。そしてその小さな銀行では、僕の差し出す一万円札は、引き出しにしまってあった標本の一万円札と見比べられ、三人掛かりで十五分検討。やっとハンガリーフォントと交換された。
 ウィーンに戻ると、ホテルのテレビはアメリカのCNNニュースで円高を報じ、帰りの機内で見た日本の日刊誌も円高を特報。だが、共産圏の中で最も自由な経済生活をしていたハンガリーでも、円は問題にされず、西欧自由圏諸国でさえ、まだ市民権を得てはいなかった。
 円の本当の実力は、外国に出て初めてわかったのだ。