25.狂信集団を排する目を持とう

 敗戦を知らされた日、僕は北海道の寒村で援農をさせられていた。
 銃後の守りと称し、中学二年の僕らは、泥土で農耕馬を使えない水田に腰までつかって、馬の代わりに雑草除去。まだ子供だからと、二人一組で僕らはお百姓さん宅にくばられていた。
「戦争が終わったぞ!」
 水田に入っていた僕らに、馬に乗った同級生が息せき切って告げて回った。負けたとは思わなかった。神国日本は不敗、神風が吹き、鬼畜米英をやっつけてくれる。そう教えられてきたことを、皆、固く固く信じていた。
 そのうち、玉音放送で天皇陛下ご自身が、敗戦を国民に告げられたことを知った。そして軍人や要人の自刃のニュース。一般の人も自殺したとのうわさ。
 生きて捕囚のはずかしめを受けるな、つかまる前に死ね。
 中学配属の鬼軍曹を筆頭に、先生から、そしてラジオで新聞で、いやというほどたたき込まれた教え。
「おれたちもハラを切らんといけないのか?」
 唇を真っ青にしながら、僕の意志を確かめるように言った、同じ百姓家に配置されていた相棒の言葉を、僕は一生忘れることができない。
 まだ敵の姿すら見たことのない、まだ声変わりもすんでいない子供たちを、どちらがより忠誠であるかを確かめるよう、死の恐怖におののかせた狂信。
 あとになって、戦争のための教育ならぬ狂育と、その狂信の恐ろしさを知り、身の震える思いである。
 過激派、集団入水、朝日新聞記者射殺、長崎市長銃撃、無差別テロ・・・。
 狂信集団の非人間的行動は絶えない。あの相棒の言葉を思い出すと、信ずることのもつ恐ろしさをかみしめ、狂信を排除する鋭い疑いの目を、だれもが持たねばならないことを痛感する。
 信ずるためには人命をもかえりみないなら、それは狂信である。今の世界の現実ではないか。