29.独創力テストを含めた入試改革を

 学校に入り、良い勉強をしたい。だが入りたい人が多いので仕方なく選別をする。選ばれた者は一生懸命学問に励む、という本来のあるべき姿が、選別、つまり入試のために全力をあげる。入ったらレッテルはもうついた、と全力で遊ぶ。
 昔、僕自身もそうだったが、わが国では学歴の最後である大学において、特にそういうゆがんだ姿が大半だ。
 そこに他国に類のない全国共通一次テストがあり、それが同じような新テストにかわろうとしていた。
 僕は「東京新聞」に掲載された「暗記より理解を」という竹内均氏のご意見に同感である。
 氏は、人間の能力を暗記・理解・独創の三段階に分けた時、後に行くものほど、より高度の人間能力であり、大学入試問題は暗記より理解をテストすべきで、受験生の理解力のテストの出来ない意○×式、理解力処理能力のまだない、コンピューター処理の入試はやるべきでないと主張されている。独創についてはふれられていない。そして理解力テストのため、試験場に辞典やポケット・コンピューター、公式集を持ち込ませることなどを提案されている。
 いわれる通り、試験方法や採点が大変でも、暗記のためでなく、より重要な、理解をさせるための試験方法を考案する必要があると思う。○×式のコンピューターは、試験する方の負担を軽くするためだけあるとしか、僕には考えられない。
 僕はさらに、独創のテストも提案したい。
 芸術テストで一番問題なのは、独創=創造である。音大入試ではまだそこまでいっていないが、国際コンクールの入賞決定は、いかに独創的な演奏をし創造的曲を作ったかにある。絵画、文学みなしかりだ。
 子供たちが勝手に遊んでいて目立つのは、独創的遊びをしている子。会社に大きく貢献するのは、新事業を創造した人。学者、政治家、ノーベル賞受賞者に至るまで、他人のなし得なかったことを、独創した人が一番価値がある。
 方法論は読者におまかせする。これからその努力もしてほしい。