38.教育のためのオペラ劇場

 日本で始めてのオペラ劇場が大阪にできた。今ある他の日本の劇場は皆オペラ専用ではない。
 オペラが四百年前にイタリアで生まれて以来、常に歌がその主役の座を占めてきた。技術が未発達で楽器の性能が悪く、人間の声が群を抜いた楽器であった昔から、作曲技法と楽器製作技術が大きく進化し、オーケストラが伴奏役から抜け出て、雄弁にドラマを表現するようになった今でも、歌詞で具体的に物語を表せる歌の優位は変わらない。
 その歌劇場は、大阪音楽大学という一大学が五十億円の経費をかけて、教育の目的だけのために建てたものである。僕はそのこけら落とし公演を聴いてきた。
 驚いたのは、客席がたった六百四十席の理想的な音響を追求したその内部である。東京に出来る二国(国立歌劇場)の席数が千八百で、とてもそれでは「アイーダ」などのグランドオペラはやれない、採算に合わないと、異議が出たのを思い出して頂きたい。ゴミゴミした商店街に大きな倉庫のような、舞台と楽屋などの裏の部分が、洋と和の日本的コントラストで建っており、外装もロビーも、伝統あるヨーロッパの歌劇場には及ばないが、一歩足を踏み入れると、温かい音質を出す木張りの壁、舞台下に部分的に潜ったオーケストラボックス、奥行きの深い縦長の舞台、と見事なオペラ座が開ける。
 入場料収入を当てにするのなら、客席数が多い方がいいに決まっている。だが作曲家が壮大な表現を大編成のオーケストラで書き、一方では客数増のニーズがあって、オペラ歌手は人声の限界の大声が要求されるようになった。例外はあっても、小さな声の歌手はオペラを歌えず、大声のオペラ歌手は弱製技術が必要な歌曲が苦手になって、オペラと歌曲の歌い手は別になってしまった。大声で歌うと歌詞が不明瞭になる。視覚的にも舞台に近い方がいいのは当然。
 この大学の劇場のような舞台なら、どんなグランドオペラも上演できる。教育の目的で建てられた劇場だからこそ出来た理想的客席数。国民の税金で造る、先を越された二国も採算を度外視して理想的な舞台芸術を作るべきだ。