41.金もうけのための"悪歌"追放

「天、勾践(こうせん)を空しうするなかれ、時、氾蠡(はんれい)なきにしもあらず」−−その昔習った小学唱歌。中国の越の王、勾践とその功臣・氾蠡の故事から、鎌倉末期の武将・児島高徳が苦境の帝に、救いが来ることを、桜の樹を削ってしるしたという文を使い、高徳をたたえた歌である。
 当時のこと、子供に意味は全然わからないから、先生がかんで含めるように説明してくれた。忠君愛国を子供の頭に叩き込むために、絶好の歌詞であった。
 一つの思想を教え込むことの善し悪しは横に置こう。僕が子供の頃は、子供たちの教育のために歌が作られた。最高の詩人、作曲家が詩を書き曲をつけた詩集「赤い鳥」がその良い例である。では、今はどうか。まあ、次の歌をご覧ください!
「ねえ・・・・声にしないで、次の言葉・・・・」
「だれも探してるぜ、魂をかけて・・・・」
 全国のアンケートで一位になった「赤とんぼ」。
 あの「夕焼けこやけの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か・・・」という、聞くとだれもが幼い昔を思い出す、詩情に富むこの歌と比べなくとも、懸命なる読者には、そのバカバカしさがおわかりであろう。
「歌謡曲」という、少年少女向け月刊誌を見て僕は書いている。
 どれも歌詞は日常の身近なことだけ。でもこの二つの、ヒット中とかいう歌はまだ良い方。「愛読者リクエスト・コーナー」に、子供たちがリクエストした四年前の歌詞を見て、あきれ果てた。
「セーラー服を、脱がさないで・・・女はみんな耳どしま」
 まるで猥(わい)歌ではないか!
 レコード、マスコミと、多量販売メディアが発達した結果、売るために、詩も曲もつくられるようになってしまった。
「音楽に松竹梅はあるが善悪はない」と考えていたのは誤り。人体を切り刻むホラーVTRと同じく、子供の本能をつき、金もうけ以外は考えない"悪歌"である。
「赤い鳥」の精神は一体どこへ行った。