44.指揮者とバイオリニストのあつれき

「指揮者は自己の音楽的感性、解釈によって楽団員に注文をつけることは職責で、芸術活動の目的をもつ限り、発言がいかに辛らつでぁり、一般社会では社会的評価や名誉感情を損なうものであっても、不法行為を構成しない」
 練習中に指揮者から不名誉な言葉を受け、コンサートマスターの座を降ろされたと、バイオリニストがこの指揮者を相手取って、謝罪文と慰謝料三百万円を求めていた裁判の東京地裁の判決は、バイオリニストの訴えを棄却した「東京新開。」
 僕はこの詳細を知らない。しかし、上記の裁判官の基本認識に対し釈然としない。
芸術をやるためなら、指揮者には相手の社会的評価を傷つけたり、名誉棄損になる発言も許されてしまう。
 いかに芸術のためでも、一般常識で受け入れられない発言をする者は、人間として失格である。
複数の人が演奏する場合において、重要なのは人間としての協力である。芸術の力はその次だ。
オーケストラの楽員も指揮者も、練習であろうと本番であろうと、人間としての協力関係に基づいて、感動を呼ぶ芸術を創造しょうとするのだ。
この協力が成り立たなければろくな芸術はできず、まして感動を呼ぶことなど絶対に不可能である。
芸術的な理由や人間関係でそれが成り立たないと思ったら、指揮者を雇ったり指揮を引き受けることをお互いにしなければいい。
 迷惑こうむるのはお客である。そして引き受けた以上は、なるべく友好的に振るまって協力関係をつくろうとお互いに努めるべきである。この協力関係が危ないと見て起こったのが、N響対小沢、ベルリンフィル対カラヤンのあつれきだった。一対多数。権力者対集団。
 指揮者対オーケストラのトラブルはよくある。
 芸術をまとめる者だから辛辣な発言が許される、という判断は、芸術は人間によってのみつくられるという原則を看過している。