45.砂原先輩、後輩の努力を御覧あれ 砂原美智子さんが亡くなった。 グノーのオペラ「ファウスト」の舞台そで、出番を前にして可憐な乙女マルガレーテにふんした砂原さんが、敵役、悪魔メフィストの僕に、舞台に出ていくのが怖い、とすがりついてこられたのを思い出す。 そのくせ一歩舞台に出たら、見事なマルガレーテを演じられた。 終戦直後、人々が娯楽に飢えていたころ、藤原義江、砂原美智子主演の確か「蝶々夫人」の切符を求めるのに、延々と立ちんぼをした学生時代が懐かしい。あのころはオペラ界から藤原、砂原のようなスターが出られる時代であった。 しかし、食、衣、住の充足をまず求めた人たちは、娯楽も、最も簡単に笑い泣け、その時だけを満足できる歌謡曲、商業演劇等にとっつき、客としての経験の深さが要求される「芸術」はおきざりにされ続けた。 この状態を是正し、本当に人の心に糧を与える高級芸術を、税金から国民に還元する役をおかみは怠った。ことにソリスト、合唱、バレエ、オーケストラ、舞台装置などを必要とする、もっとも金のかかる総合芸術オペラは、一番つらい立場に甘んじてきた。 テレビにより代表されるマスメディアの発達、趣味の多様化。時代は変わった。 純オペラ界からのスターは今は生まれない。どだい日本のマーケットに今までオペラ歌手は正確には一人も存在しなかった。 オペラだけを歌ってメシを食った人は皆無で、藤原、砂原両先輩にしても独唱会で稼ぎ、オペラは身銭を切って歌った。彼らのごとく著名でないと独唱会の注文はこない。日本のオペラ歌手はそのほとんどが教師である。 にもかかわらず、日本のオペラはあの昔に比べると、時にはヨーロッパの大歌劇場に比肩できるほど格段に上達した。 それは先輩たちが創られた土壌の上に、身銭を切った努力が力強く続けられてきたからである。 砂原先輩、草葉の陰からわれわれ後輩の敢闘ぶりを御覧あれ!! |