46.耳をそばだてる音楽を聴こう 百人を超すオーケストラ、二百人ほどの合唱、全員が力いっぱい弾き、歌っていたのがハタとやむ。一瞬の静寂。二万人以上の大聴衆がかたずをのみ、耳をそばだてる。 満場の注視を浴びてたった一人、ソプラノが最弱声で余韻嫋嫋と歌い、オーケストラ も、合唱も、他のソリストたちも、聴衆と共におもわず聴きほれる。 イタリアはベローナの大野外歌劇場でのことだ。マイクはいっさい使わない生の声 である。 マドンナがやってくると次はマイケル・ジャクソン。いずれも金持ち日本の付和雷同型若年客を狙い、セックスと奇行を売り物に仰々しい前宣伝で何十万枚の切符はとうに売り切れ。 われわれクラシック音楽畑の者は、どうあがいたって、客の入りでは歯が立ちっこないから、あれは音楽を隠れみのにした食もうけのビジネスだ、とゴマメの歯ぎしりをするのみである。 しかし、アメリカの植民地化したとしか思えない、このごろのヒットチャートとかに登場する彼らのたぐいのやる、マイクに向かい常に絶叫、いつも変わらないテンポと、変化のないリズム、それを電気の力でガンガンと拡声した実に単調なる音楽、それが人間という動物の本能をつく強烈なビートで、音楽的に経験の少ない若者を興奮させるのは、人類のみに与えられた音楽という宝物の持つ美しさの大半を放棄させた、真に嘆かわしき現象である。 同じ野外でも、古代ローマの闘技場のベローナのオペラと、後楽園のマイケル・ジャクソンの興行を、若者たちよ聴き比べたまえ!! 音楽は娯楽である。視と聴から迫れるテレビの発達に伴い、親鳥からエサを口移しさせるひなのように、若者は与えられるすべての娯楽を受け身に受け入れるようになってしまった。 セクシーな踊り、奇をてらう衣装で、これでもかこれでもかと押し付けるビートだけの歌を、ひな鳥のごとく先を競ってのみ込む。みあ、耳をそばだてるという体験をしたことのない哀れさよ!! |