5.日本は田舎のにわか金持ちになるな

 芸術がいかに普及しているか。それが国の文化殿最大のバロメーターである。残念ながらわが国は、世界有数の金持ちにしては、まだ先進国並みに芸術は普及していない。
 というのが永年、ヨーロッパに住んだ僕の肌で感じた実感である。
 例えばN響がつぶれ、国立美術館が閉鎖されても、ウィーン・フィルが解散になり、ルーブル美術館が同じことになった場合の、国民全部から起こる暴動的反対運動は、日本ではまだないだろう。
 芸術振興を主張して選挙に出れば、日本では落選するのが目に見えている。
 物ではなく、無形の、心の豊かさとして残るのが、芸術を鑑賞したり、つくったりする楽しみだ。食うや食わずの状態では、普通の人は芸術どころの騒ぎではない。だから芸術は、その昔、貧富の差の激しい時、貴族や富裕な商人など、特権階級の所有物であった。
 市民階層が台頭してきて、ついに二百年前、市民は自らの手で血を流す革命により自由平等とともに、ルイ王朝から王朝料理、そして芸術をもぎとった。陸でつながり、互いに刺激し合ってきたヨーロッパでは、だれでもがその良さをすぐわかり、本能的に飛びつく高級料理などと一緒に、理性的で慣れを必要とする芸術をも、程度の差こそあれ、どの国でも、庶民は力ずくで特権階級からかちとったのだ。喜びはひとしおだったろう。
 そんな力ずくの体験は日本人にはない。今、われわれが享受している民主主義も、明治維新と、四十五年前の終戦という二つの革命によって、われわれ庶民の手にタナボタ式に転がり込んだものである。一緒に手に入れた、芸術に対する共感度は、ヨーロッパ先進国にくらべ、はるかに薄かった。
 ―――まためぐってきた終戦記念日をまえに、僕は一人、そんな想像をして慨嘆する―――。
 営々と働いて世界有数の金持ちになった日本人。為政者も庶民も、もうそろそろだれもが、心の豊かさを、芸術を希求しないと、田舎のにわか金持ちと笑われる。