51. お体裁でなく本音で拍手を

「みんなが、一曲終わると必ず柏手してましたけど、本音なんでしょうか?」
 生まれて初めてオペラというものを聴いた一女性が、懐疑的に僕に尋ねた。その公演は外来引っ越しオペラ公演で、券は三万円もした。確かにいくら話題になっていても、幕が下りる時にほんの少し、関係者だけが義理の柏手をしている公演だけしか知らないと、彼女ならずともあれは本当に拍手したいのか疑いたくなるだう。
 ま、しかし、世界中どこでもクラシックの音楽会では儀礼的拍手をするのがならわしである。
 しかし、拍手にもいろいろある。
 僕の経験から、多分世界最高級の拍手をするお客は、ウィーンの国立歌劇場とムジークフェラインザール(楽友協会ホール)のコンサートの常連のファンたちである。
 彼らは、よし下手でも最低限の柏手はする。しかし、そのたたき方や長さで、確実にお気に召していないということが明白である。上手とみればどの程度気に入ったのかがわかるたたき方をする。
 彼らに、著名外来音楽家に対して必ず日本で起こる、熱狂的柏手をしてもらえるのは、有名無名にかかわらず、ものすごい快演を聴かせてくれた場合だけである。芸術を鑑賞して気に入るか否か、百人いれば百様に異なる。彼らは、他人がどうでも断じて自分の拍手は自分の好きにやる。
 そして音楽会の雰囲気を最大限に守る。
 ある時東京で、交響曲の第一楽章が終わり、指揮者がタクトを置いたとたん大きな拍手が一つ起こり、つられて何人かの人が手をたたいた。間髪を入れずシーツという制止の声がかかり、何人かの舌打ちが聞こえた。
 普通楽章の合間に柏手はしない。だが、大きな柏手の主は、そんなことは知っていても、感動のあまり手をたたいたのかもしれない。確かにそれは素晴らしい演奏だった。雰囲気が壊れるのを制止したのまではよいとして、オレは「通」だというような舌打ちはいやだった。
 やる方だけでなく聴く方にも松竹梅はある。