52.高度な歌に目覚め始めた大衆

 僕の母は歌の大好きな人だった。
 専門教育など全然受けてなく、楽譜も読めず、楽器も全くいじれないけど、物心ついた幼い僕にいつも歌ってくれた。
「春のー日の花と輝くー、うるわーしのー。この歌はね、マコーミックという有名な人が映画の中で歌ったんだよ。お母さん涙が出るほど感激したよ!!」
 鼻たれ小学生の自分の息子には恥も遠慮もない。別に長い声でも節回しがうまくもないのだが、マコーミックの美声を思い浮かべ、うっすら涙をにじませ、台所仕事のかたわら歌って聴かせる。
 学校の唱歌で聴いたこと−のないメロディーは、幼い僕の心に歌の良さを強烈に焼きつけた。
 小学校から中学へ、大戦から終戦後までの、僕のおふくろによって植えつけられた歌へのあこがれは、藤原義江という一世を風びしたテナーへ向けられた。彼の歌うそれまで全く耳にしたことのなかった「風の中の羽のように」などのオペラ、イタリアのカンツォーネ、中山晋平作曲の「鉾をおさめて」などは、その素晴らしい旋律、歌い回し、他人と異なる美声で、夢中になってラジオにかじりついたものだった。藤原義江そっくりの、確か加賀美一郎とかいった少年歌手まで、世間の喝さいを浴びていた。
 声帯だけを鳴らすのでなく、横隔膜より上の上半身全部を共鳴させて出す、オペラの歴史とともに歩んだ洋式発声、天才が作曲した旋律。マコーミックが、藤原義江が、ちまたに流れる歌と異なるから大衆が耳を傾けたように、今や盛んにテレビコマーシャルに登場する、オペラアリアやクラシックの歌曲も、そこらにあふれるロックや流行歌などの中で異彩な香りを放つ歌だから、商品イメージアップのため繰り返し流され、大衆の耳になじみ始めたのだ。
 声は人だれもが持つ楽器。歌こそ万人ができる音楽。
 手軽にロックに参加、カラオケで歌うのも良いが、高度な歌に大衆が目覚め始めたのはテレビの手柄の一つである。