54. 脅威を感じた中国楽壇

 北京と上海で独唱会をやってきた。両市とも翌日に音楽院の著名な声楽教授の案内で、学生たちの歌を聴かせて頂いた。
 ひとことで言うと、脅威を感じた。
 両音楽院とも聴いた学生はその時に居合わせた十人ほど。歌を始めてまだ半年の初心者から三年、四年というのが全部である。決して選ばれた特に上手な学生たちが用意されたのではない。僕が聴きに行くことを向こうが知ったのは、いずれも前日であった。
 もちろん、金をとれる者はいない。発声法、曲の解釈も幼く、特に外国語の発音がメチャクチャである。
 しかし、歌手としての素質が、日本の学生より上で、よくこれだけ学べたとびっくりするほど、短期間にしては、皆日本人に比べ進歩が早い。
 日本の十倍の人口の中国の中から、一切無料で音楽院に学びにくる。当然淘汰は厳しい。そして週二回約三時間の声楽の授業を受けられる。日本では普通一時間、ひどいところで、は三十分ぐらいの授業が週一回あるだけ。つまり日本の三倍以上学べるのである。
 それは中国が特別なのではなく、日本が異常に少ないのだ。僕の学んだローマとウィーンも、週三回三時間ぐらいの専門実技授業があった。
 音楽実技は一対一で教える。従って何十人相手に一度に講義できる他の科目よりはるかに経営効果が悪い。僕は教育は義務教育だけにとどまらず、いかに高度で金のかかる教育でもすべて公費で賄われるのが理想だと考える。
 演奏家公費育成というそれを諸外国はやっているのに、日本は国立の芸大でも年二十万円、私立でも七十万円ほど学生は払い、しかも授業回数は全然少ない。それを補うため、心ある教師は無料で補講をし、さもなくば哀れな学生は特別レッスン料をふんだくられる。
 中国楽壇の門戸が開かれたら、日本人にかわり中国人が海外のコンクールに入賞、白人オーケストラの楽員となるだろう。