57. 安くてもうまい和製オペラ

 先日、藤原歌劇団の「ドン・カルロ」最終公演を聴いた。
 四半世紀ほど前、NHKが本場イタリアより歌手を招いて合同公演をしたころに比べ、日本人歌手たちは、中に凹凸はあるが、少なくとも声では聴き劣りしないこと、隔世の感がある。大枚をはたいて呼んできたイタリア人たちと対等、いや、ときにはそれ以上に渡り合っていた。
 日本人の声は小さいなどとはもう言えない。
 中でも群を抜いていたのが、スペイン国王フィリッポ二世を演じたギュゼレフであった。若い妻はなんと実の息子を愛し、最も信じる部下には背かれ、老宗教裁判長のカに屈し――。絶大な権力を持ちながら、最も寂しい男を歌い、そして演じた。
 その役柄作りによし異論があったとしても、彼の、歌役者としての力を見逃したら、居眠りをしていたと言われても仕方あるまい。この歌劇団の、少し前の「マクベス」公演で、マクベス夫人役を演じたシャリー・ヴァレットもやはり、中で突出した歌役者であった。
 この二人は役を歌っていたが、他の主役級歌手たちは、大きな美しい声を聴かすことに、まず最大の力を傾けていた。
 ギュゼレフもヴァレットも、ひっきりなしにやってくる本場からの引っ越しオペラ公演に入ってくれば、目玉の超一流スターである。
 悲しいかな、和製オペラは金がない。「ドン・カルロ」でもそうであったが、大道具を節約して書き割りで間に合わせたりせねばならない。なにより、宣伝に資金をかけられない。だから外国から歌手、合唱、オーケストラなどすべてを連れてくる引っ越し公演より安く、ギュゼレフのようなスターが出、総合的に大変良い出来であったのに、上野文化会館は空席がめだった。今やオペラブームだ、などと言っているのは一体だれだ。
 本場物だとのべつまくなしにわき起こる柏手。ギュゼレフやヴァレットの本当の価値を、彼らはわかるのか?
 オペラのお客様も選球眼を養ってください。