59. 日本の歌よ、世界の歌に 日本では、音楽学校に入りまず学ぶのが、イタリアの古典歌曲である。日本人なのに、日本の歌は最初はほとんど教わらない。先生のイタリア語の発音をおうむのように真似し、文法も意味も、字引を引いてすらチンプンカンプンで歌っている。全く日本の歌を学ばずに卒業する者すらいる。 僕はローマとウィ−ンの音楽院で学んだが、当然のことながら、まず教わるのがイタリア語とドイツ語の自国の歌である。日本人の音楽会で歌われるのもほとんどイタリア、ドイツのオペラや歌曲、それにフランス、イギリス、ロシア、スペインなどの声楽曲が続き日本の歌は全く少ない。 四百年前にイタリアに生まれたオペラは、すぐにドイツ、フランス、イギリスに入って、イタリアオペラ主導のうちに中央ヨーロッパで変遷をとげ、約百年ちょっと前に、やっと辺境ヨーロッパの、ロシア、スペイン、ハンガリーなどにも波及し、国民楽派オペラといわれる、それらの国々の国語によるオペラが生まれた。 一方、芸術歌曲は、シューベルトによって百七十年ほど前にウィーンで始まった。洋楽にあこがれる、極東の洋楽後進国日本では、歌手も聴衆もこれまで自国の歌をなおざなりにし、ヨーロッパ声楽史に忠実に勉強し歌い、そして聴いてきた。 声楽揺藍の地、上野の奏楽堂はその反省のもと、日本の歌だけによるコンクールを今年の五月に開催した。 台東区が本腰を入れた主催で、審査料は一万円、と他のコンクールに比べ安く、満二十歳以上なら楽歴、国籍など一切問わない。一位の山田耕作賞は百万円。一次予選に滝廉太郎、二次に山田耕作の歌曲を課題曲とするこのコンクールへの応募は他の声楽コンクールの約二倍以上、二百二十八名もあった。中には八十三歳の男性も受けにきている。 将来は作曲コンクールも考えているという。 日本の歌が世界のレパートリーとなり、外国の音楽学校で教える日の来ることを、外国で外国語で歌って来ざるを得なかった一日本人歌手は心から祈るのである! |