60. 感動を呼んだ八十三歳の初舞台

 ご老人は杖なしに、しゃんと舞台に現れた。でも、少し足取りが乱れてしまう。杖をついておられたのを館内で僕は見ている。ピアノの横、立つ位置をギゴチなく確かめ、半数以上は息子、娘のような年齢の審査員たちに深々と頭を下げ、孫娘のようなピアノ伴奏者にオズオズと合図をした。
 人前で歌うのは生まれて初めてなのだろう。
「はーる一高−楼うのー、はなーの宴んー」。
 選んだ課題曲は「荒城の月」。非常に堅くなっている。お世辞にもうまい歌、良い声とはいえない。一生懸命勉強した歌を、一世一代のひのき舞台で披露しようと、懸命になっているのが痛いほどわかる。素人のど自慢によくある、独りよがりの、気持ちよげにノドを聴かせようという態度はみじんもない。
 三日間にわたり、二百数十人の歌を聴かねばならない二十人の審査員たち。満二十歳以上ならだれでも受けられるのである。次から次へと出て来る歌手たちを機械的に聴いていた皆は、一斉にピリッと緊張した。「はるーは名のみーの」。次の自由曲は「早春賦」。
 歌のリズムが崩れた。ピアノ伴奏と合わない。無理もない。広い会場に二十人の声楽、批評、作曲の権威だけを相手に歌うのだ。コチコチになって、やり直したり、棄権した人もいる。
 審査員が皆かたずをのんだ。なんとか最後まで無事歌い通して欲しい。それが皆の祈りだった。ご老人は寸刻後かろうじて正しいリズムを取り戻し、ホッとした皆の前で、ご迷惑をおかけしました、とでもいうように、歌い終わってまた深々と一礼。ゆっくり舞台を去っていった。何たるチャレンジ精神、真摯な態度。若者よ見習え!
「採点など必要ないわ」
 審査員の一人が言った。それが八十三歳での初舞台に感動した全審査員の気持ちだった。
 平成二年五月の第一回上野奏楽堂日本歌曲コンクールは、第一位・山田耕作賞百万円、並びに木下保記念金賞を、小島恵子さん(三五)=芸大出=が獲得し、終了した。