62.お墨付き音楽劇「南太平洋」

 後世にまで残る作品。時代の風潮、人種の差を超えて迎えられる作品。例、えばモーツァルトの「フィガロの結婚」に始まったオペラの常打ち演目のような、人類共有の財産は、そう簡単には生まれない。
 社会の実権が、貴族、富裕な商人などの特権階級から、徐々に庶民大衆に移ってきた過程で、オペラからオペレッタ、そしてミュージカルが生まれた。
 オペレッタの、例えば「こうもり」(ヨハン・シュトラウス)は百年以上もかかり人類の耳のふるいをパス。この六月に上演した「南太平洋」も、数あるミュージカル中、お墨付きを得ることのできた少数の作品の一つである。
 もう半世紀近くも昔の、南太平洋の島での物語。故国フランスを捨てて島に住み着いた中年男と米軍看護婦、島の娘と米兵との恋物語に、もはや特に新味はなく、エキゾチックなポリネシアの島もTVで何度も紹介され、観光慣れしたわれわれの琴線をもうくすぐらない。
「南太平洋」の本当の価値は、有名な「魅惑の宵」「バリハイ」などの流麗な音楽にある。
 主役のフランス男優にしても、エツィオ・ピンツァというオペラ史に残る名バス歌手の歌唱が耳にこびりついている「魅惑の宵」を納得いくように歌いこなすのは容易ではない。そして演技をし、役にふさわしい容姿を持ち、踊れ。そんなミュージカル役者の層の厚さを示してくれたのが今回の 「南太平洋」。
 オペラも歌える、基本のしっかりした歌を聴いて、日本のミュージカル役者は反省すべきだ。
 僕が聴いたのは二回目の公演だが、舞台転換、照明、特に音響、それもオーケストラ楽器群のバランスが悪く、前奏でのオーケストラだけの演奏は頂けない。公演を重ねるうちに良くするというのは最初にくる客を軽視している。
 名作は何度も上演される。手に入ってしまった舞台の上と、大差があった。初日を一番大切にし、万全を期し暮を開けるべきだ。
 ともあれ、お墨付きの音楽劇「南太平洋」万歳。