66.病室と待合室を改善せよ

 インフルエンザ流行の季節となってきた。商売柄、僕は予防注射をし、マスクをかけ、人込みは極力避け、ひっきりなしにうがいをし、ネブライザーという電気吸入器で薬液の吸入をする。
 僕にとり風邪をうつされるかもしれない一番怖い場所は、人込みの中ではなく病院の待合室である。既にインフルエンザにかかった人たち、かかっているかもしれない可能性の多い人たちの集合所である、待合室こそ、感染可能性のもっとも高い場所である。
 インフルエンザだけでなく、あらゆる伝染病の病巣は狭い待合室であるのに、日本だけでなく、僕の知る限りヨーロッパの先進国でも、待合室の危険性が改善されないのは真にフに落ちない。
 そして日本の病院は、入院患者用のスペースがなぜこうも狭いのか。イタリアの大衆病院の大部屋と三人部屋、オーストリアの病院の個室、そして西ドイツの病院の大部屋を個人使用で入院した経験を僕は持っている。その中で最も入院費の安価な大衆病院であったイタリアの病室でさえ、日本の最高級の病室より天井は高く、ベッドとベッドの間のスペースは広かった。
 木造の日本の家屋は、低く狭いので世界的に定評がある。だから病室もうさぎ小屋でいいと考えたら大変な間違いだ。
 病人は常人ではない。精神的な安らぎは、病人の占める個人空間の大きさに大いに影響される。
 いつも狭く低い部屋に住んでいるのだから、病気になっても同じような病室で我慢しろ、我慢しよう、という恒常不快的住宅生活国民の潜在意識が、病院側にも患者側にもある。
 医者の飽和状態、看護婦不足、病院経営の不振が伝えられるこのごろ、不安で狭い待合室、精神的に治癒を長びかせる病室の改善を、特に国、そして病院もぜひ考えてほしい。医術、医療器具がいくらよくてもこれではダメだ。病院は国民全員のための施設であることを、だれもが銘記すべきだ。