67.子供だけがなぜ特権を持つのか

 中年で品の良い姉妹が、子供二人と新幹線に乗っていた。子供は小学生の女の子とまだおしめをしている幼い男の子である。座席を回し、四人は向かい合ってだんらんしている。
 大人同士は静かに話しているのに、幼児がしきりにダダをこね、果ては泣き叫ぶ。女の子も負けじと大声で母親と叔母に食べ物をねだり、食堂車に行こうと催促する。周りの乗客の迷惑をかえりみず大人二人は子供たちを全くしずめようとしない。
 日本ではよく見る光景である。泥靴を隣の人にこすりつけて、車窓から外を眺める子僕を放置する母親。シーンと静まりかえった音楽会場で、泣く子を連れ出さずに聴いている母親。先ほどの母親は、とうとう、泣く幼児のおむつを替え始めた。車内に異臭が漂う。
 なぜ子供だけが日本では特権を持つのか。
 乗車料金にせよ入場料金にせよ、すでに子供は割り引きという特権を持つ。一人前でないのになぜチヤホヤせねばならぬのか。
 ドイツの母親は子供、特にしかられてもなぜと反論するまで育っていない幼児を実に厳しくしつける。電車の席があいていれば座るのはまず老人、婦人。子供は最後である。かくして子供は長幼の序を無言のうちに習う。子供が泣き叫んでもカギをかけ、夫婦で音楽会に出かける。他人の迷惑になる幼児は、大人だけの遊びには連れて行かない。
 かくして子供は泣き叫ぶことの無駄を自然に悟る。
 子供は無邪気、純真にしてかわいい。だからといって、したいようにさせておくのは、親がせっかくの教育するチャンスを見逃しにすることである。泣く子と地頭には勝てない、などということわざは西欧にはない。
 わが国の伝統的、子供過保護の社会的慣習下に、子供を放任した母親は、気がつけば自分の愚かさを改めるはずだ。
 許しがたいのは、子供を盾がわりにして公衆の中で席を確保、列への割り込みをする厚顔無恥、反省不能の母親である。