69.子供を利用するのは後進国だ

 ヨーロッパの街角で、ジプシーの子が母親とともに土とあかに汚れた着物をまとい裸足で物ごいをする。行き交う人々は彼等を避ける。
 そしてそんなことを平然と子供にさせる母親に、さげすんだ視線をあびせる。あれを見ると、第二次世界大戦直後の靴みがき少年を思い出して胸が痛くなる、と僕のイタリアの友人は言った。
 僕も日本の焼け跡で大人相手に商売をしていた、いたいけな少年たちを思い出す。東南アジアの街角でドライバー相手に花を売りつける子供たち。子供をやむを得ず働かせるのは貧乏国のことである。
「東京新聞」のコラムで亀井俊介・東大教授が書いておられたが、米国のテレビでは子供をCMに使わないのが原則だそうだ。そう言えば二十年間住んだヨーロッパでも、アニメは別として子供そのものがCMに出たのは見たことがない。
「燃える心の恋のときめき」「愛の孤独を海に」。テレビのスイッチを入れたら、ゴールデンアワーに六歳と七歳の女の子が大人の流行歌手の物まねを堂々とやっていた。「恋」も「愛の孤独」も全然チンプンカンプンな、いたいけな子供に化粧をさせ振りをつけ、マイクを持たせて歌わせ衆目のまとにする。子供は猿まわしの猿だ。醜悪である。
 そして頻繁にテレビ画面に登場する子供の出てくるCM。それらは子供の無邪気さ、かわいさを大人が利用しているのにほかならない。そしてそのことを大人たちが自覚していない。
 こんだ電車の中で、子供を盾にして座席を確保する母親。自分はベンチに座りたばこをくゆらせつつ、幼児にハンバーグを買いにやらせる父親。テレビといい、どれも先進国では見慣れない光景である。
 まだ一人前でない子供たちは厳しくしつけられねばならない。だがしつける大人たちに、しつけが何たるかの認識がなければ、できるものではない。金は待ったが意識はまだ後進国だ。
 あの子供利用を知れば、ヨーロッパの識者はきっとそう言うだろう。