71.俗語を性教育に使うな

「赤ちゃんはどこから生まれるの?」
 子供のころ、一緒に風呂に入っていて質問し、おふくろが大いにうろたえ、あいまいな説明でごまかしたのを思い出す。
 これが「○○○」だ、と産婦人科医の息子が、持ち出してきた女性性器の解剖書をトクトクとして解説するのを、クラス中が大騒ぎで、写真にいが栗頭を突っ込み合って驚き見入った中学生時代。
 昭和一ケタ生まれの僕は、家庭でも学校でも、性教育を受けた覚えがない。おふくろや先生が照れず、科学的に教えてくれていたら、思春期の、性への変な興味は押さえられただろう。
 埼玉県教育委員会の「性に関する指導の手引」に、小学一−四年生への指導で男女ともに性器の呼称を「オチンチン」 にするという記述があり、なんで性器の名まで男性に合わせるのだとか、俗語を教育に使うなとか、論議を呼んだ。
 欧米社会では、男同士が仲間意識をもってくつろいだ時、例えば、オペラ座の男性楽屋では、いろんな国のオペラ歌手の口から、各国の男女性器の俗語が、衣装を着替える裸の男たちの冗談として頻繁に使われる。だが一方、普通に他人と接する日常の場では、上の種の俗語を使わないのがモラルで、ご婦人がおられる時などは絶対のタブーだ。
 異種混合の彼らの社会では、それを使うのは、自分の社会的地位は低いと、自ら公言していることになる。
 この使い分けが血縁社会の日本ではあいまいで、酒が入ったりすると、いい紳士が女性の前でも平気で性器の俗称を口にする。
「オチンチン」はいいが、女性性器のごく一般的な通称名詞はひどすぎるから、他の俗語などを性教育に使おう、という発想もそのあいまいさからきている。
 僕も、女性が赤面するような性器の俗称を使うことに反対だ。小さな子にも「ペニス」「ヴァギナ」という科学的な呼称できちんと教えるべきである。
 性教育は照れずに、科学的にやってほしい。