73.騒音を意識する感性を持とう

 都市騒音が問題になって久しい。
 確かに、人の集まる場所は、永年住んだヨーロッパと比べ、案内や注意、宣伝、工事などの騒音がひどい。それは人口高密度国の都合の、やむを待ざる社会現象だとして放置できなくなっている。
「騒音」とは、意識しない人には絶対聞こえないものである。案内や注意をマイクで繰り返しがなりたてる駅員、大音響をたてる器具を使い道路工事をする工事人、拡声機のボリュームをいっぱいに上げた右翼の宣伝カーの運転手。彼らは、自分が騒音発音体であるとは全く意識していない。むしろ人のために役立っていると思っているはずだ。
 人間は胎内にいる時から胎音を感じ、生まれてからも常に何らかの音のある環境で生活している。
 睡眠や気絶など、聴覚の働かない状態にないかぎり、われわれは必ず何かの音に接している。遮音された寝室でベッドに入っていたって、時計の針音、自分の寝返りの音や鼻息など、必ず何か聞こえている。音は人間の必需品である。ためしに、人工的に完全遮音された録音スタジオに入り、耳をすましてみるとわかる。無音の状態に耐えられなくなり、恐怖さえ感ずる。
 ところが、その不可欠な音が、機械文明の発達により人間の生理的許容量をこえて生活に侵入し、受け手の側もそれを騒音と感じなくなりつつある。特に、起伏なく規則的に繰り返される騒音、例えばガード下の住人、電車内でもヘッドホンでロックを聞き続ける若者等は、それをもはや騒音と感じてはいない。
 大音響のロックを聞き続けると内耳の血管が虫食い状態になる、と最近医学的に報告された。
 人間の聴覚は元来、雨風、鳥の鳴き声、人の声など、自然にある音を聞くためにある。汚染水に育つ奇形の魚のように都会の人間もなりつつあるのだ!!
 機械により拡大された音を、扱う側も聞く側も「騒音」として意識する感性を持つことが必要だ。