75.「禁煙車」より「喫煙車」を

 タバコのうまさを、そして、それをやめることのつらさを身にしみて知っている者として、僕は排斥運動に追いやられ、肩身のせまい思いをしている、タバコのみの皆さんに惻隠の情を覚えるのであります。
 だがタバコは火事の原因であり、吸わない人も迷惑をし健康にもよくない。自分で吸ったタバコの煙がノドにからみ、歌う直前に声が一時出なくなり、僕も恐怖のあまり必死の思いでやめたのであります。排斥されて、他人の楽しみを奪う権利がどこにある、と居丈高になるのもよろしくない。吸う人も吸わない人も、あまり感情的にならずに、徐々にタバコをこの世から少なくするよう、お互いに努力するのが一番だと考えるのであります。
 例えば映画館、音楽会場や通勤電車ではだれもタバコを吸わない。外の、灰皿を置いてある所で吸う。それは常識であります。他人に迷惑をかけるような所では絶対吸わないように、全タバコのみがなれば理想的であるが、長旅ではそうもいかないだろうし、全喫煙者が常識を守れるとも考えられない。
 そこで禁煙車となるが、あれはタバコをここでは吸うなという排斥運動の象徴であります。
 あるホテルで、ディナーコンサートを歌っていた時、僕の目前で食事を終えたお客が、うまそうに煙をくゆらせていた。おしゃべりの中でやめてもらうよう、うまく注意しようとして、ハッと気がつきました。彼のテーブルにはちゃんと灰皿があったのです。
 吸うのが当然で、お客に注意をする権利など僕にはない。煙を吸い込まないよう僕は離れて歌いました。
 あの灰皿から僕は考えるのですが、禁煙車でなく喫煙車にしたらいかがでしょう。禁煙車の外でならいつどこで吸ってもいいかというと、決してそうではない。そして、吸う人は吸わぬ人より数が少ないのです。
 疎外感なく堂々と吸える場所をつくった方が、タバコのみにも、吸わない人のためにも良いじゃないですか。