8.ハード大国からソフト大国へ

 エジプトはカイロに、新しいオペラハウスが建った。
 日本政府の無償援助で日建設計が設計、鹿島建設が施工、首都の中心にモスク風円形屋根のみごとな殿堂が出来上がった。すべて日本の力である。欧米のオペラ先進国は指をくわえ、ほぞをかんで、日本にエジプトにおける新しい文化の中心をつくられてしまったのを見ていた。
 一八六九年、スエズ運河開通記念に、エジプト国王の要請により、木造のオペラハウスが建てられ、ヴェルディがエジプトを舞台に名作「アイーダ」を作曲し上演、オペラ座は歴史に名をとどめる建物となった。しかるに十七年前に焼失、以来この国のささやかなオペラ、シンフォニーコンサートなどの公演は、映画館を改造したお粗末な小屋に頼ってきた。
 新オペラハウスは、正式には教育文化センターと呼ばれる。日本政府の要望でより広い使用目的を目指すべく、限りなくオペラハウスに近い多目的ホールとなったが、カイロ市民はオペラ座と呼んでいる。
 昭和六十三年十月十日から六日間、日本側のイニシアチブで、歌舞伎、日本とエジプトとの合同でバレエとコンサートが、オープニング記念として開催され、初日の十日は延々四時間半、深夜零時半を回るまでテレビが生中継をした。
 先進国はソフトでも日本に先を越され内心おだやかでないようだ。
 テレビインタビュアーが来て僕に質問した。
「日本にオペラハウスはないそうですね」「いや間もなく素晴らしいのができます。専門劇場はなくとも連日のごとくオペラは公演され、いくつもあるオーケストラの水準は世界一流ランク。演奏家も数多く世界のひのき舞台で活躍」などなど、僕は宣伝にこれつとめた。
 驚く彼女の顔色を見ながらつくづく感じた。他の先進国にならこんな質問は、当然のことだが、しない。まだ日本の腕前披露の前のインタビューとはいえ、オペラ座という建物だけでなく、これだけソフトも張り込んで披露寸前のこの国でも、日本のソフトは、ハードづくりに比べ全く認められていないことを!!