84.ビジネスライクにまず金額提示を

「奥さん、三十円まけるから買ってよ」
「ちょっと鮮度が落ちてるじやない。五十円まけるならいただくわ」
 魚屋の店頭。売り手と買い手はきっちり値の交渉をする。品物を目の前にする交渉は世界中どこでも同じだ。
 だが定価などなきがごときアラブの市場で、付け値から、口角泡を飛ばし延々と交渉、売り手と買い手の執着度と折衝力の差で、六千円になったり五千円にもなる砂漠の民を別として、先進国の中では契約観念が強く非情緒的なドイツのような国民の方が、情緒的で、契約が時になおざりになるイタリアのごとき国民より、値段は交渉により上下しない。
 僕の体験である。
 ところが値段のつけにくい知的労働に対しては、わが国のごとき契約観念の薄い国では金額提示方法が一変する。家庭教師、ピアノの個人レッスンの月謝。就職あっせん、結婚式の仲人へのお礼。著名医の特別診療、弁護士への報酬。原稿料。講演料。出演料などなど。全く交渉なしに買い手が売り手に一方的に払うことがほとんどだ。
 払い過ぎ、もらわな過ぎの不満が残ると、つけとなってあとに残り、人間関係に影響する。常識でははかり難い場合になると、交渉の最後の最後になってやっと肝心な金額提示がされ、話は壊れたりする。
 何事も情緒的に処理した方が丸くおさまり、合理的処理では角が立つと考える、非契約社会日本の特徴である。
 はるかにかけ離れた額の提示から始まる、砂漠の民のやり方をまねる必要はなくとも、魚屋の主人と客の奥さんのように、知的な仕事の交渉においても、最初から値段の提示と駆け引きがあって当然ではなかろうか。契約社会のドイツでは、最初から真にはっきりと金額が提示されたが、情緒的で、やや日本的なイタリアでは、やはりいささかあいまいであった。
 ますます外国人と一緒の仕事が増える国際化に向かう日本。情緒的な処理の仕方を改め、ドイツ的契約観念をとり入れるべきだと思う。