87.小劇場だけで見られる感動の名画

 一昔前。シチリアの片田舎。村人唯一の娯楽は映画。その名も天国座という教会映画館だった。
 名メロドラマの、何度も見て覚えてしまったせりふを、満員の客たちと一緒にひげ面をクシャクシャにして泣きながら、画面より先にしゃべっているおじさん。ワァワァ歓声をあげながら、インディアン襲撃に身を乗り出すガキたち。牧師にカットされたキスシーンをやじり、フィルムが届かないのをののしり、天国座は老若男女全員の天国だった。
 唯一の映写技師は十歳からこの道一筋の、無学な中年男アルフレード。映画に夢中の少年トトは、映写室に侵入、切り捨てられたキスシーンのフィルムをアルフレードにねだり追い出される。だが、ミルクを買うための金で映画を見た、と母に折檻されるトトを、アルフレードは、金はトトが落としたのを自分が拾ったのだと、母につくろってやる。
 一方、トトのクラスに小学校卒業認定試験を受けにきたアルフレードが、解答出来ずにトトに救いを求めるのを、映写室に入れてくれるなら、という交換条件で、トトは解答を紙切れに書き、小さな手で素早く投げ、グローブのような手でアルフレードは受け止める。以来、アルフレードは父のいないトトの無二の友人、父代わりとなった。
 三十年が過ぎた。ローマに出、名をなした映画監督トトは、アルフレードの厳命で一度も故郷に帰らなかったのだが、今、アルフレードの死の報に、飛んで帰ってきた。
 テレビに押され、天国座は駐車場になるため、昔をしのび涙をにじませる、年をとった、かのひげ面のおじさん、あのころのガキたちが見守る前で爆破された。
 中年トトはアフルレードが形見に残したキスシーンのフィルムにしみじみ見入るのだった。
 掛け替えのないものへの追憶。年齢、性を超えた愛。弱冠三十三歳のイタリア人監督作「ニュー・シネマ・パラダイス」は万人を感動に誘う。小劇場だけでの上映は続映につぐ続映。本当に良いものに宣伝費はいらない。