89.他人の迷惑に気付かぬおじさん集団 がやがや、わいわい。びん詰めの酒に缶ビール、ピーナツにのしいかだろうか。満員のJR踊り子号グリーン車は、一ダースほどの初老のおじさんグループのダミ声、傍若無人の喧騒に満ち、他の客たちはまゆをひそめる。中には禁煙車なのにタバコを吸っている酔いどれもいる。花見どき土曜の午後。行楽に向かう同窓グループか同業の慰安旅行か。 どれもこれも、一人なら人生経験を積んだ紳士なのに、団体になると社会ルールを無視し、しかもそのことに全く気がついていない。 連中は僕と同じく伊東で、どやどやと通路をふさぎながら降車。明るいプラットホームに出て、大勢の降車客たちに混じって歩き、新鮮な空気を吸って、どのおじさんも、いささか紳士の顔を取り戻したかに見える。 駅前のタクシー乗り場の列についた。 だが酔いの回った年配集団のこと。皆一緒には続けない。彼らの間には一般客が入る。と見るや、既に前に並んだ仲間の横にどやどやと固まった。列もへったくれも無い。そして、さすがにもう酒を飲みはしなかったが、またもとの集団内のだらしない顔に戻る。 中には列に気がついて何人かが、他の客の後ろについて並んだ。 タクシーが着き、連中の番が来、数台に向かいかたまりが崩れてどやどやと乗り込み、前に並ぶ客に一言の断りもなく、後に並ぶ連中は前の仲間と一緒に乗ってしまった。またもや公共マナー無視を全く意識していない。 集団になると個人のときと違う特別なグループ意識をもつ。 それは日本人だけでなく、動物としての人間の本音で、だれだって気のおけない仲間と酒を飲めば、社会の規律を守っている人たちと一緒にいることを忘れそうになってしまう。 だが孫がいる年配の紳士たちが、高校生の修学旅行よりはるかにおとる集団行動を取ったことを、あのおじさん連中は全然気付いていないのが一番の問題である。 |