93.国民的行事、高校野球をしらけさせるな

 高校球児諸君、甲子園出場おめでとう!!
 わが国の国民的行事として定着した君たちの純粋無垢なる敢闘精神はテレビ、ラジオ、新聞等すべてのマスコミを通じ、毎夏の清涼剤となった。
 マスメディアの発達、価値観の多様化で、NHKのラジオドラマを聴くために銭湯がカラになったころに比べると、日本シリーズ、紅白歌合戦と並んで、数少ない全日本的関心事の一つとなり得たのは、君たちがこの上なく昇華された青春の一ページを見せてくれるからにほかならない。
 そこで君たちに一つだけお願いしたい。勝負のあと、勝利校の栄誉をたたえて流れる校歌に合わせ、ぜひ大声で歌ってくれないか。
 調子っぱずれだって、ドラ声だって歌えるだろう。勝利の喜びを心の底から校歌に託してくれないか。
 ラウンドスピーカーから流れる校歌が大きすぎ、歌っても聞こえないから、わずかに口をあけて唱和しているのかもしれない。
 だが、あの録音された校歌からは、君たちの喜びを代弁する感情はひとかけらすら聞こえてこない。
 だれにでも歌えるようなせまい音域の中に、建学の理想、母校をとりまく山紫水明など、どの学校も同じような歌詞を盛り込んでいるのだから、どの校歌を聴いても代わり映えがしないのはいたしかたないとして、歌っている声がどれも、プロか音大の学生のアルバイトか知らないが、一様に、ひたすら良い発声のみを誇示し、心のこもっていない歌で、校歌が流れている瞬間のみが実にしらけるのである。
 国民的行事をしらけさせてはいけない。
 録音など流さず、応援の学生と選手諸君が一緒になり、勝利の感激で歌うのが一番良い。
 それができないなら、だれに聞こえずとも自分に向かってでよい、心から歌いたまえ。テレビ画面にその心は必ず反映される。
 校歌は歌うもので聴くものではない。