94.アメリカ人力士、小錦の涙に思う

 小錦関、あの時の優勝おめでとう。二二二`の巨体力士が優勝が決まってこらえきれずに流した涙は、土俵の上の表情とは全く違い、実に感動的だった。相撲に門外漢だが、僕はあのとき、二十五歳の一外国人青年が、日本古来のしきたりに固まった、国技に挑み打ち勝った、感無量の涙を見たと思った。
 なせば成る、成らぬは人のなさぬなりけり。
 この言葉にわれわれ日本人は、すくなくとも昔の教育をうけた人たちは共感する。短身痩躯が心技一体、よく巨漢を倒す。体力より精神力、素質より鍛錬。この精神主義に対し、合理主義の欧米人はついていくのが難しい。
 南国ハワイに育った青年は、親方、兄弟子、そして日本のしきたりにしごかれ、揉まれ、きっと血の涙を流したことだう。ここまでやらずとも、こんなつらい思いをせずとも、と何度も思ったことだろう。相撲ほどではないだろうが、日本人が白人のために創ったオペラに入っていくにも、別の意味での障壁があった。
「蝶々夫人」など日本を舞台にしたオペラ以外では、どうしようもないことだが、見てくれでは白人に日本人は絶対負ける。だから特に僕は、障壁を乗り越えた小錦に相手を送る。
 巨体のくせに何だ、という声もよく聞いたことだろう。
 おかしな日本語の発音で、名物のアメリカ人が賞状を読み上げた後、英語で「おめでとう」と小錦に語りかけたときの、彼のうれしそうな表情。彼の心の中には、アメリカ人としての誇りが満ちていたのか。プロ野球MVPのクロマティ、ブライアントに送らなかった祝電を米大統領は送った。それは国技に対する敬意を示している。
 スポーツは強い者が勝つ。国籍に関係ない。実にはっきりしている。外人力士が優勝したことをとやかくいう日本人はいない。万一大リーグの打撃王に日本人がなっても、文句をいうアメリカ人もいないだろう。
 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、日本の歌手がアメリカを舞台にしたオペラ「西部の娘」の主役を歌っても同じこと。日本の国際化はスポーツや、芸術よりはじまる。