95.ゴミを増す過剰包装はやめよう

 お中元をいただく。この暑いさなか、大きな荷物を配達する人たちは汗だらだらである。包装を開けるのに家人はネをあげ、僕に手伝いを命ずる。女の力ではたしかにひと苦労である。
 麗々しく、幾かさねにも手をかけた立派な入れ物。そして、出てくるのはたった一握りの品。
 それがこわれ物ならまだわかる。ほうり投げてもビタともしない物を、厳重によけいなお金をかけて包装するのは見えでしかない。
 マンションの下にあるゴミ入れまで持っていくのに、かさばってしようがないから、包装に使われた段ボールを踏みつぶし、小さくするのはまた僕の役目。
 ヨーロッパにお歳暮、お中元などはないし、他人の家を訪れる際も、日本のように物を持って行く習慣はない。手ぶらか、せいぜい自宅の庭に生えたバラを一輪手折り、ありあわせの紙にでもくるんで、訪れる家の奥さんに差し出すのがごく普通である。
 相手との身分の差によって、おじぎをする時の頭の下げ具合や、お中元の中身が異なる、知り合っていることを前提とする血縁社会日本と、習慣の異なる、お互いが知らないことを基に生きる異国人同士が同居してきた非血縁社会との差である。
 知らない人の家を初めて訪れる時、無礼になるからと、大きな菓子包みを持っていくと、向こうではかえって常識はずれ、と戸惑わせる非礼になってしまう。
 ヨーロッパで、日本のお中元のように品物をプレゼントするのは、クリスマスと誕生日だけだが、その包装は自分で包み紙を買ってきて自分の手で包む。金だけ払い、あとはデパートに全部まかせるなどということは決してない。
 金より心である。
 配達人に汗かかせ、貴重な木材でつくられた紙を浪費し、もらった人を悩ませ、ゴミ箱をせまくし、ゴミ集めに汗をかかせ、皆に迷惑をかけて、もうかるのはデパートと包装業者だけ。
 お中元という日本の昔からの美風を、過剰包装で金もうけの道具としてしまってはいけない。