96.ドイツ人を見習って電力を大切に

 オーストリア・リンツ市の著名な内科医の邸宅に僕ら夫妻は招かれた。先生はオペラの大ファンで、僕は彼の経営する病院にビールス性肝炎で入院したことがある。リンツ市の歌劇場で歌っていた昔のことだ。
 玄関に入りコートを脱ぐと、奥さんは廊下の電灯をつけ、玄関の電灯を消す。応接間の一角の安楽いすにわれわれが座ると、今度は先生がシャンデリアの電気を消し、奥さんがテーブル上のろうそくに火をともした。夜のとばりの中にわれわれの座る部屋の隅だけがほんのりと浮かび上がる。広い庭園には、ふくろうが住んでいる。もちろん、イルミネーションなどは何もない。
 自然光は美しい。
 この先生ご夫妻だけが電灯嫌いなのでも、けちなのでもない。オーストリア人、ドイツ人は皆、電気の無駄づかいを嫌う。奥さんは、わが家の小さなアパートを訪れたとき、僕らがつけ放しにした玄関の電灯を自分の手で消し、無言のうちに無駄づかいをたしなめてくれた。
 ドイツでもそうだったが、アパートの家の中では、個人が自主的に電気を節約するが、共同使用部分の廊下は、赤い灯で場所が指示されているスイッチを押すと電灯がつき、老人や幼児がゆっくり退出するに十分なぐらいの一定時間が経過すると、オートマチックに消えるようになっていた。駅のエスカレーターも、乗り口にセンサーがついていて、人が足を踏み入れるとエスカレーターが動き始め、使用者がいない時は自動的に止まる。真に合理的である。
 帰国して、長年のドイツでの習慣から、招き入れたお客様が通過したあと、玄関や廊下の電灯を消す。けちなようにおもわれるのが嫌だが消す。よそのお宅へおじゃまして、無人の廊下や部屋にこうこうと電灯がつけ放しになっているのを見ても、ついスイッチに手が出かかる。
 なぜ日本人は電力消費を放置するのか。その昔、灯りが貴重だった頃の見えが、まだ尾をひいているのか。
 ドイツ人を見習うべきだ。