「歌うオタマジャクシ世界奮泳記」より抜粋

■ 波の暴力

 地中海、ヘルツリア海岸の砂浜に出たわれわれ四人。先頭が水泳に自信がある指揮者ケルテス、続いて金髪の美女二人、ポップとグラマツキー、そして、交通事故に遭った足を持ち、泳ぎの下手な僕。人影はまばら。遊泳禁止の旗印は見なかった。
 ここテルアビブ郊外のリゾート海岸は遠浅に見え、イスラエル・フィルの楽員は次の日の公演から夏服に替えようという時、初夏の砂浜の風は平和にそよいでいた。ドイツからハイドンの「ネルソン・ミサ」をイスラエル・フィルに客演しているわれわれ、特にユダヤ系のケルテスは、先祖の国での大成功に浮かれていた。
 あれは一九七三(昭和四十八)年四月十六日の午後だった。悲劇の場所に僕は二〇〇〇年三月、二十七年ぶりに再び立った。十二月に開局したBS朝日のTVドキュメンタリー製作のためである。
「私はホテルのプールサイドにいました。二人の女性の叫びに海岸に飛んでいくと、あなたが倒れていて人工呼吸をしました。溺れていた人はその後で引き揚げましたが、海面にあおむけになっていて既に呼吸はありませんでした」。あのときホテルのガードマンだった老人がとつとつと語ってくれた。僕の記憶に鮮明なのはこうだ。
 −−「臆病者!」。ケルテスは泳ごうとしない僕に、笑いながら、「来い」と合図して、一かきで海に消えていった。眼鏡と時計を砂浜に座る二人の金髪に預け、泳ぎに自信のない僕はおずおずと海に入った。
 彼女たちは翌日の公演のためにセットしたての金髪が濡れるのを恐れ、泳がなかった。泳いでいたら犠牲者はもっと増えたことだろう。
 平泳ぎでひとかき沖に向うと、金剛力で引かれたようにさらわれた。「危ない!帰れ!」ケルテスに怒鳴ったが、波の音にかき消された。はるか沖の波間に彼の頭は見え隠れするが、僕にはとても近寄れない。「ヒルフェ!(助けて)、ヒルフェ!」いくら怒鳴っても、浜の二人は話し合っていて気付かない。波をかぶり水を飲む。もう声どころではない。
 波とどのくらい格闘したか。手が動かなくなった。水面に浮かび背泳ぎ。だが、岸が見えないから真っすぐに向っているか分からない。波が顔を覆う。岸を探すどころか、足の力がなくなってきた。「ケッパレ!」。子供のころのおやじの掛け声が聞こえる。最後の力を振り絞り、これで砂をつかまねば終わりだ、と足を下にした。引き波が去り、辛うじてつま先が砂をとらえた。必死に両足で砂をつかみ、よろよろと二人に近寄った。
「日本の神様みたい」。波打ち際の何も知らない二人の前で倒れ、水を吐いた。
「ケルテスが危ない!」
 うろたえ果てて「ヒルフェ」を絶叫する二人。「ライフガード、ヘリコプター、快速艇、救急車」。倒れたまま僕は二人に叫び、必死の救出活動が始まった。

 

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