「歌うオタマジャクシ世界奮泳記」より抜粋

■ ゲストハウス

 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団が客演アーチスト用に持っていたゲストハウスは、二〇〇〇年三月に訪れたときは売却され、取り壊されようとしていた。テルアビブ市内に立つ瀟洒、豪華な、あの懐かしい建物は周りからしか見ることが出来なかった。
「あのブラームスの写真は?」。当時、われわれを送り迎えしてくれた運転手のヨーゼフに聞く。「イスラエル・フィルの記念館に移りました」「あれはオリジナルの写真では?」「そう。指揮者のアントン・ドラティの贈り物です」。
 一八九七年に没した作曲家ブラームスの写真は、写真という技術が世に出、活気を帯び始めたころのものだろう。だかにら非常に小さい。金縁で囲まれ、特別室「ルビンシュタインの間」の壁に飾られてあった。音楽教室にも飾られてあるあのブラームスの写真は、あれから複製されたのではないだろうか。
 世界の主要なオーケストラは、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど、ほとんど寒いところにある。その例外が熱い中東の地、イスラエルの誇るイスラエル・フィル。世界中に散らばる優秀なるユダヤ系の音楽家たちを招いて、イスラエル・フィルは演奏会を持つ。その客演演奏家が、一切無料で滞在するのが、ゲストハウスである。
 執事に料理人、それに若いサービス係。彼らは、ドイツ・ケルン歌劇場から来た「ネルソン・ミサ」演奏者、ケルテス、ポップ、グラマツキー、そして僕の四人を心からもてなしてくれた。常に新鮮な食べ物で満たされていた冷蔵庫は好き勝手に飲み、食べ放題だ。
 名ピアニスト、ルビンシュタインの名前がつけられた指揮者用メーンルームには、フルコンサート型グランドピアノが置かれ、室内楽の練習が出来る広さで、豪華な寝室、台所と次の間が付いていた。ケルテスはこの部屋を使っていた。ちなみにブラームス、ドラティ、ケルテス、ポップ、ルビンシュタインは皆ユダヤの血を引いている。
「ルビンシュタインのお供をして、私はエルサレムのキング・デービッド・ホテルの大食堂に入っていきました」
 ヨーゼフは二十七年前にしてくれた話を繰り返す。
「片目に眼帯をしたダヤン・イスラエル国防相がいたんだねえ」
「あのころのルビンシュタインは世界のスター。その人が、アラブとの戦いでユダヤ人が救国の英雄と崇めるダヤン国防相がいるのを見て床にひざをつき、にじり寄りました」。キング・デービッド・ホテルはイスラエルで最も格式のあるホテルだ。「それを見たダヤンもひざまずき、にじり寄り、二人は固く抱き合い、周りの人々は二人の偉大な同胞を凝視していたのでした」
 二十七年前の四月十六日夕方。僕はヨーゼフの運転する車で、溺死したケルテスの遺体が安置されている救急病院から、イスラエル・フィルの首脳陣とポップ、グラマツキーの待つゲストハウスに帰った。
「ケルテスが死んだ」。とたんにポップが泣き叫んで抱きついてきた。

 

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