岩波書店"図書"11月号より 「オペラ『蝶々夫人』の間違い」 |
担当・清水御狩様(編集長:山口昭男様)のご厚意により転載させて戴きました。心より感謝申し上げます。
※如何なる場合に於きましても文章の無断転載を禁じます※
「えーっ、これはさむらいの頭だぜ、ぼんぞーは頭を剃ってなきゃー!」。メークアップ用の椅子に座り、正真正銘の日本人の僕の顔を、更に強調して眼をつりあげて描いた化粧師が頭にのっけてくれた、ちょんまげのかつらに僕はたまげた。ドイツはケルン歌劇場楽屋の化粧室。これからオペラ「蝶々夫人」の舞台稽古が始まる。僕の歌う役は、主人公・蝶々さんの叔父で僧侶のぼんぞー。日本を舞台にしたオペラだから、この歌劇場専属の僕は厭でも歌わねばならない。「客はそんなこと解らないさ」。かまわずにかつらをのっけ終わり、いつも僕の化粧をしてくれる係のおじさんはこともなげに言った。 「こりゃ、神社の門じゃないか!」。稽古用の舞台で更におったまげた!僧侶・ぼんぞーの僕は、何と門のミニチュアを両手で鷲掴みにして出てくれ、と演出助手が言うのである。そしてそのミニチュア門を仔細に観てとうとう腰を抜かしそうになった。下から上にあべこべに、つまり上から下に読むと、経華連法妙無南、と、それも字が逆さに書かれていたのである! 「俺は日本人だ。矜持が許さない!」「岡村さん、頼みます。大橋さんも歌ったのですから!」演出助手は平身低頭。「大橋君がいたのに何故直さなかったのですか」「彼にぼんぞーの祈りの言葉を書いて貰ったのですが、彼が差し出すのをそのままの角度で受け取り、全然日本語を知らないものですから、大道具係が逆さに写してしまったのです。直す時間がなくて初日になってしまいました。お願いです。貴方と貴方の奥さんと、日本人のお客さんだけが解ることですから---。全部を変えると大変なので」。大橋国一君は僕の先任のケルン歌劇場第一バス歌手。その時は既に癌でこの世にいなかった。その「蝶々夫人」の初日のぼんぞー役を彼は数年前に歌った。蝶々夫人の叔父ぼんぞーは、長崎港に寄港したアメリカ海軍士官ピンカートンと恋に落ち、彼の宗教・キリスト教に改宗した蝶々さんを破門し、親戚縁者一同に彼女と縁を切れと告げる強もての僧侶である。 ケルンだけではない。色々なヨーロッパの歌劇場で、僕はこのぼんぞーを歌わされ、又、オペラ「蝶々夫人」を何度も鑑賞したが、どれもこれも日本人の目からは噴飯ものだった。---ハノーヴァーの歌劇場にゲストで出たときはあべこべに烏帽子を被って歌わされ---オーストリアの小歌劇場では幕が開くと長崎の海の彼方に富士山が浮かび---蝶々さんの家の中に人々が土足で上がり込み---その蝶々さんの家は、海辺の藁づくりの苫屋で---蝶々さんは子供を肩に担ぎ着物の裾をたくしあげ内股を見せて闊歩し---団扇をひっきりなしに扇ぎ---と、大小の劇場を問わず日本を知らないひどい演出は枚挙にいとまがない。 演出だけではない。プッチーニは台本作家と一緒に日本考証に力を尽くし「越後獅子」や「お江戸日本橋」などの旋律を取り入れたが、このオペラ初演の少し前に鎖国を破って世界に登場してきた日本の姿は正しく描かれてはいない。ぼんぞーが蝶々さんを罵る言葉が"かみさるんだしーこ"と、多分、神道の猿田彦の神、らしきへんてこなもの。---蝶々さんの侍女のすずきが仏壇の前に跪き唱える念仏が"いざなぎいざなみ さるだひこかーみ"---"おっとけ"と多分、みほとけのことだと思う言葉を歌って蝶々さんは ピンカートンに袂から仏像を取り出して見せ---。神仏混同。日本人の姿は誤っている。 それら原作の間違いが、そして、それを上演する演出が、ああ、一九〇四年のスカラ座に於ける初演以来、100年近くも訂正されずに、いまだに世界中で上演されている!!そして、日本に於ける上演では、たとえばかの有名な「ある晴れた日に」のアリアを蝶々さんがすずきに向かって歌う場面で、二人の日本人が原語のイタリア語で歌い合い、その訳が字幕で出るのだ。外国での上演ではない。お客は殆ど全部が日本人だ。何故、二人は日本語で歌わないのか。「ある晴れた日に」というあまりにも有名なアリアの内容を、字幕の読めない目の不自由な方々は、あるいは、窮屈に首を曲げられず、あるいは舞台から眼をそらして字幕を読みたくない人々は、いや、オペラファンと自称する方々は、果たして本当に理解しているのか?---日本点字図書館理事会の末席を汚している僕は、視力に頼る字幕に反対だ---。 このアリアの概要は---「すずき、お前はあの方が帰ってくるのを信じないでないているけど、きっと、ある晴れた日に、遠くに一条の煙が上がり、船が港に入ってくるのよ。そして船から下りた一粒の点のようなあの人が、この丘の上の家に向かってくるの。遠くの方から”蝶々さん”と呼びかけるけど、あたしはすぐには出て行かないの。この永い永い三年の後にお会いする喜びで死んでしまわないように。そしてあの方は、僕の小さな奥さん、と言って抱いてくれるの!お前もあたしのように信じてちょうだい、それは必ずおこることなのだから!」---である。日本語で歌われてこそ、その内容は通じる。 そして待ちこがれたピンカートンはやっと帰ってきた。だがアメリカ人の奥さん・ケートを伴って。そして彼との間に出来た子供まで取り上げられ、蝶々さんは自殺してしまう。 前知識無しに内容が解らねば、オペラは神棚から降りられない。長崎に寄港し、結婚周旋人のごろーの口車に乗り蝶々さんと結婚の真似事をしたピンカートンと、長崎在住の米国領事シャープレスの、アメリカ人同士の歌は原語のイタリア語で歌われて当然だが、それではお客に解らないから、ごろーなり、すずきなりが独り言のようにそのやりとりの内容を、音楽を疎外しないように日本語で短く喋る。それは原作にはないが、日本での上演のために許されることだと僕は信じる。ごろーは商売柄外国語を理解し、ピンカートンを恋してしまった蝶々さんも短いながら彼との交際から、そして常に蝶々さんと一緒にいる侍女すずきも、ピンカートンの喋る言葉を理解するという設定である。だからピンカートンと蝶々さんの美しい愛の二重唱は原語で歌われる。この音楽に余計な注釈はいらない。 このような、神仏混同や日本の姿の誤認を改め、僕は「NPOみんなのオペラ」芸術総監督として来年七月に東京で蝶々夫人を演出する。上質廉価なオペラを東京で創り地方に出前するためである。日本で上演するのに最も適切で、何の前知識無しでも劇の展開が解り、プッチーニの女性悲劇が胸に迫るものを創るつもりだ。出番が廻ってこず喉が鳴っている歌手たちが大勢居るから、全出演者の、楽・学歴、国籍、年齢などの過去を一切問わない公募オーディションを三月二十・二十一日におこなう。(詳しいことは僕のホームページ:http://www.takao-okamura.com/をご参照下さい) なお、日本点字図書館のチャリティーコンサートを十二月十一日(水)十九時開演で東京池袋の芸術劇場で開催します。今、最もナウいゴスペルの演奏会。本場米国の黒人聖歌グループ、ホーリィ・トリニティ・ヘヴンリー・コワイアーの出演でゴスペルの真髄、魂の解放をお聴き下さい。全指定席で5,000円-2,000円。お問い合わせは日本点字図書館・電話:03-3209-0241、へどうぞ。 (おかむら たかお・オペラ歌手)
岡村喬生 |