週刊オンステージ「音楽評」
4月20日号

"人生の旅"を語り歌い継ぐ70歳
岡村喬生、イェルク・デームス「冬の旅」

 岡村喬生(1931年生まれ)の長年築き上げてきた芸は有無を言わせない存在感がある。ライフワークとして取り組んでいるシューベルトの「冬の旅」、もちろん歌曲を味わう会だが、おそらく会場を埋め尽くしたほとんどの人は、上野の花見真っ盛りの午後、岡村の芸を心から楽しもうと思ってきている。オペラを思わせるバリトン声のお話、癖のある親しみやすい人柄など、それらすべてを芸として昇華し、その自然さがシューベルトの「冬の旅」の世界へとまっすぐにつながっている。今年はピアノにウィーン出身の大家として知られるイェルク・デームス(1928年生まれ)が参加した。
 コンサートはプレトークからはじまった。岡村が独自の「冬の旅」観を披露し、またデームスを交えたインタビューでは話が前に進まず時間オーバー。やきもきする岡村がデームスを遮って笑いを誘う場面など、岡村の人間的な魅力が人を惹きつけていく。休憩を挟んで行われたコンサートも岡村の独壇場。話ではかみ合わなかった二人が気持ちを一つにシューベルトの世界を独自の世界として描いていく。それはリート歌手の技巧だけできかせる歌ではなく、言葉を丹念に積み重ねながら歌の重みを大きな振幅で表現していたことにある。
 最初の「おやすみ」の歩行のリズムはゆったりと、しかしピアノのリズムの上でためらいがちな声が動揺を隠さない。「菩提樹」はデームスのしなやかで透明なピアノの音色から言葉をかみ締めるように歌が紡がれていく。「溢れる涙」や「春の夢」の抑制した感情とその爆発はオペラをきいているかのようにスケールが大きく、デームスは岡村が気持ち良く歌えるようしなやかに付けていくのが印象的だった。
 そして「辻音楽師」は楽譜を超えて感情で表現される声のゆらめきがピアノの声に反射する。歌をききながら(岡村の解釈とはまったく異なるが)、辻音楽師は男にしか見えない亡霊であり、最後に男は死へと向かっていくように感じた。
 このコンサートはおもしろかった。70歳を超える歌手が素晴らしい歌声で聴衆を魅了した。彼の無理のない発声、それはどこかで読んだ「80歳になったらもっとうまくうたえるようになる」を信じさせてくれる。それでも声は枯れていくだろう。そんな80歳岡村喬生の人生の旅である「冬の旅」を是非ともきいてみたいと思っている。

4月1日 東京文化会館小ホール 三橋圭介