「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」より抜粋

「ケルテスが死んだ!ケルテスが死んだ!」
 彼女は号泣しながら叫んで、私をゆさぶった。グラマッキイもポップも金髪は乱れ、口紅もとれ、真っ青な顔は、二人とも美女であるだけに一層凄惨である。ポップは、ケルンでケルテスのアシスタント指揮者を努めるフィッシャーというハンガリー人と結婚していた。その関係もあって、ケルテスとの付き合いは長い。ケルテスへの思いも一層深いに違いない。
 ポップが泣き止むと、皆の質問が私に集中した。どうしてこんな大それたことになったのか、説明できるとしたら私しかいない。私は一通りのことを話した。そして一番近くにいたにもかかわらず、救いに行けなかったことを心から詫びた。皆は異口同音に私に言った。
「もし救出に行ったとしたら、必ずあなたも溺死していたはずだ」
 私は待機していた看護婦に鎮静剤を打たれ、半ば強制的に自室のベッドに寝かしつけられた。その頃から私の四肢の筋肉はだんだんに痛みを覚えてきた。熱も出て来て、食欲は全くない。そして鎮静剤はきかず、目はパッチリ開いたままである。
 隣室ではイスラエル・フィルの首脳が集まり、鳩首会議が開かれていた。とにかく次の『ネルソン・ミサ』の公演はキャンセルされた。切符は売り切れであったが払い戻すという。問題は数日後の次の公演である。ケルテスの替りをつとめることの出来る指揮者は数少ない。イスラエル・フィルと関係の深いズービン・メータ、ラファエル・クーベリック等の有名な指揮者に国際電話で交渉したが、いずれも急なことで、都合がつかない。八方手を尽くしたが、結局ケルテスの下で、合唱団をまとめた若い無名の合唱指揮者が、その大役をつとめることになった。大抜擢で、彼にとってはおもわぬ幸運である。彼なら練習から参加していたので、亡きケルテスの解釈のままに、別に特別な練習を我々としなくとも振れるはずである。
 ケルテスの遺体は、テルアヴィヴの教会でイスラエル・フィル葬が営まれたのち、直ちにイスラエル・フィルの幹部数名がつきそってケルンの夫人のもとへ運ばれることになった。私は、自分も遺体につきそってケルンに行きたい旨を申し入れた。夫人に遺体を渡して、とんぼ帰りをすれば、『ネルソン・ミサ』の次の公演に間に合う。私の口からその最後の模様を話して、夫人に謝るのが、私のせめても出来るつぐないである。
 私の希望はすぐフィッシャー氏に伝えられ、フィッシャー氏からケルテス夫人に伝えられた。夫人もケルテスと同じハンガリーの生まれ。同国人でケルテスのアシスタントを務めたフィッシャーが、この際彼女の最も頼れる人間である。フィッシャーから折り返し連絡が入った。ケルテス夫人は錯乱状態で、誰とも今は会いたくない、とのことであった。思いもかけないケルテスの突然の訃報に、ケルンは今、大騒ぎになっているらしい。ニュースは世界中にとんでいた。そういうことなら仕方ない。彼女の気持ちもよく解る。私はあきらめた。いずれはケルンに帰る。その時になれば彼女の気持も少しは静まり、逢うことも出来るだろう。
 私は眠ろうと努めた。今さら何を悔いても無駄である。体の筋肉はますます痛く、寝返りも出来ない。熱も三十八度ほどある。ほぼ五メートルの距離を泳ぎ戻るのに十五分程も私は海と死闘を続けた。その急激な運動で痛めつけられたための熱である。ケルテスは私が岸にたどりついて三十分後に、ダンホテルのライフガードによって、すでに水面に顔をつっ込んだうつ伏せの姿で発見された。なぜ彼が海で泳ぐといった時、とめなかったのか。死を賭しても救いに行くべきではなかったか。つい先頃、同じ海岸でダンホテルの従業員も溺死したという。オリンピックの勝者マーク・スピッツは抜手を切って泳いでいたそうだが、スピッツなら、あのときのケルテスを救えただろうか……。私の思いは千々に乱れ、眠りに入ることはとうてい出来なかった。

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