「歌うオタマジャクシ世界奮泳記」より抜粋

■ 救急病院

 ヘルツリア海岸の砂浜にぶっ倒れていた僕の周りに、野次馬が集まってきた。左足は再び沖にさらわれそうに、押し寄せる波に引っ張られる。自力では動かせない。だが、だれも動かしてくれない。
「だれか溺れているの?」。間の抜けた英語。「足を動かしてくれ!」口から泡が出る。やっとだれかが砂の方に動かす。「だれが溺れているの?」役に立たないくせにしつこい。
「ケルテス」「おお、指揮者の?」
 周りの野次馬たちにヘブライ語に訳すとまた何か質問してくるが、僕には彼らの好奇心を満たす力はもうない。泳がずに砂浜にいたポップとグラマツキーが、金髪を振り乱して駆け出し手配した救急車が砂浜に到着、イスラエル兵士が駆け降り僕を抱きかかえた。
「いや彼と一緒に」「お友達は救出されます。さあ行きましょう」。英語でしゃべる兵士の肩にすがり、僕は病院に向かった。
「お友達は見つかったようです。危険な状態ですが息はあります。同じ病院に来ます」。救急車の中で、無線応答の様子を兵士は横たわる僕に伝える。病院に着くといや応なく検査。生命に別状はないらしい。そしてベッドに運ばれ、別な兵士が僕を見張る。ひと時の後。カーテンで間仕切りした隣が急に騒がしくなる。「ユア、フレンド」。たどたどしい英語で兵士が教えてくれる。
 ケルテスが搬入された。起き上がると兵士がすごい力で押さえつける。隣は慌しいしゃべり声。バタンバタンと跳ねる音。「イズ ヒー アライブ?」「イエス」。生きていた!
 そのうち隣の担架が運ばれていく音がし、中年の医者が枕元にきた。「お友達は有名な指揮者のケルテスさんですか」。流暢な英語。「イエス。様子は?」「残念です。入ってきたときに、もう瞳孔反射がありませんでした」「バタバタしていたじゃないですか!!」「電気ショックをかけたのです」。
 前途洋々たる才能は、海の力を侮り、四十三歳にしてこの世を去った。二人だけで泳いでいた僕は、救いに行けなかったわが身の非力を心から呪った。
 そこに迎えに来たのがヨーゼフだった。彼は、イスラエルフィル・客演アーチストであるわれわれ、ケルン歌劇場からの一行付きの運転手である。「さ、帰りましょう」「ケルテスに一目だけ!」「止めた方がいいでしょう」。ヨーゼフの手を借りて立ち上がると、鼻水とも涙とも分からない水が鼻から流れ出た。
 −−「あれなんて書いてあるの、ヨーゼフ」。二〇〇〇年三月、二十七年ぶりに会ったヨーゼフは、晩年のフランスの俳優ジャン・ギャバンに似てきた。「救急病院」。ヘブライ語を訳す彼はあのころと同じように優しい。「ここを通って運び入れられたと思います」。医者が、親切に病院での悪夢の跡を案内してくれた。
 そしてあの時、ヨーゼフと一緒に僕はゲストハウスに帰った。だが、その後の演奏会を、ケルテスなしにどうするのか!まだ九回も残っていた。

 

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