「歌うオタマジャクシ世界奮泳記」より抜粋

■ 鎮魂曲

「 まず、モーツァルトの『アヴェ・ヴェールム・コルプス』を合唱団が歌いましたね」「そうでした。マエストロ・ケルテスへの鎮魂曲でした」。話す相手は当時その合唱団のイスラエル人指揮者、そして今はハイファのオーケストラで指揮をするスペルバーさんで、二十七年前のあの日、三十一歳だった。「聴いていた女性歌手二人が号泣して、その後すぐに歌えるのかどうか心配しました」
 前日までイスラエル・フィルとのハイドンの「ネルソン・ミサ」を指揮していたケルテスは、ヘルツリア海岸で四十三歳の命を地中海の引き波に奪い取られ、急きょ、彼、スペルバーが、マン・オーディトリウムの同じ指揮台に立ち「ネルソン・ミサ」は続演された。大抜擢だった。
 −−「アヴェ・ヴェールム・コルプス」に悲しみを倍増されて嗚咽をこらえるソプラノ、ポップとメゾソプラノ、グラマツキーを抱きかかえるようにして僕は舞台に向かった。後ろに現地のテナー、ライツィンと、いったん舞台袖に戻ってきたスペルバーが従った。
 聴衆は大きな拍手、そしてハンカチで顔を押さえる二人の女性歌手に誘われて嗚咽の鼻声が増幅される。彼らはわれわれケルン組の情にほだされている。静寂が訪れ、スペルバーが指揮棒を振り下ろして第一曲「キリエ」が始まった。合唱が歌う。「主よ、われらを哀れみたまえ」。すぐにポップが立ち上がる。これじゃ声はとても出まい。彼女がもし歌えなかったらどうしよう。イスラエル・フィルとまだ八回もこの曲の契約が残っているのだ。しかもそのソロは、早い速度で声を転がす技術がいる。泣いていたのでは、横隔膜での呼吸の支えが無くなってしまう。
 歌い始めた。「キリストよ、われらを哀れみたまえ」。ほっとした。嗚咽は吹っ飛び、見事な呼吸の支えでいつもの声、いつものテクニック。僕はあの時ほど勇敢な女性歌手を聴いたことがない。そして世界的な同僚を誇らしく思った。 会場もほっとした雰囲気に包まれる。やがて僕が立ち上がる。一転してゆっくりとしたバスのアリア「クイ トッリス」を歌った−−。
「マエストロ・ケルテスに捧ぐ」。二〇〇〇年三月。このアリアをあの思い出の地、ケルテスの棺を見送るための楽団葬が執り行われたマン・オーディトリウムのロビーでの演奏会で、僕はこう言ってから、「クイ トッリス」を歌いだした。指揮は同じスペルバー。再演に成功した彼はその後全部の公演を続けて指揮したのだった。その時のイスラエル・フィルは日本にいたから、オーケストラも合唱も若者たちだった。
 彼ら若い奏者たちは、将来のイスラエル・フィル団員である。「この世の罪を担いたまう人よ、われわれを哀れみたまえ」。美しいハイドンのメロディーを歌ううちに、二十七年の年月は消し飛び、あの日、あの時の僕に戻っていた。

 

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